法話 「四摂法」 〜トウモロコシの思い出〜
法話 「四摂法」 〜トウモロコシの思い出〜
先日、地元の同級生の仲間とあるオンラインコンテンツに参加し、昔を懐かしく語り会いました。
その時、同級生のN君が私との思い出を語ってくれて、子ども時分の懐かしく、あたたかな記憶を思い起こすことができました。
N君は、遊ぶことがとても上手で、自然の中で虫捕りをしたり、川遊びをしたり、草笛をつくったり、家の中での遊び方もよく心得ていて、私はよく農業を営む彼のご自宅に遊びに行きました。
また、N君のお母さんは美人でとてもやさしく、遊びに行くと手作りのお菓子を出して下さったり、帰り際に野菜を下さったりもしました。
幼少期に母を亡くした私には、その温もりがとても有難く、N君もN君のご家族も大好きでした。
N君が語ってくれたのはその当時のこんな一幕でした。
ある時、N君はいつものように遊びに来た私に、帰り際に家庭で採れたトウモロコシを沢山持たせてくれたことがあったようです。
ところが、それは農業の規格外品ではなく、ご家族で食べるために育てたものだったようで、それを知らずにN君は沢山私にくれたのだそうです。
それから30年以上経った先日、あの時お母さんからあとで、確認せずに沢山あげたことを叱られたとN君はにこやかに笑いながら話してくれました。
仏教では私たちが心がけるべき生活規範として「四摂法(ししょうほう)」という教えがあります。
それは、縁起という繋がりの中で存在している私たちが実践すべく、布施、愛語、利行、同事の「少しの親切とあたたかな思いやり」の精神です。
「布施」とは惜しみなく施すことで、お金や物、あるいはサービスや技術を与えて、見返りを望まないことです。
「愛語」とは、やさしく思いやりのある言葉で語り合うことです。
「利行」とは、人々や社会のために励み、自らを慎む心を持つことです。
「同事」とは、他人の苦しみを共にし、楽しみを分け合い、人の身になって思いやることです。
人を思いやり、やさしい言葉や態度で接する人がいれば、周りは明るく和やかになります。
手に入れたものを自分だけのものにするのではなく、そのうちの少しでも他に施すことが出来たら、その施しが人に温もりを与え、感謝と助け合いの心を生みます。
身を削ってまで実践することは、反って辺鄙を生むことがありますので、注意が必要ですが、自身の日々の生活の中で少しだけ心がけることで、自分自身も周りの人も和やかに過ごしやすいものになるでしょう。
N君の思いやりは、少しやりすぎと思われるかもしれませんが、でもN君やN君のお母さんをはじめ、母が亡くなってからも私を育ててくれた多くの方々の温もりがあったからこそ(勿論、仏法もですが)、今私は何とか人道の中で歩めているのかもしれません。
冷たさや温もりは人から人へ伝播されるものです。少しだけ、人を思い、やさしく接することを心がけ、仏さまの浄土へ歩む人生をお互いに和やかに楽しく過ごしたいものです。
ちなみに、もうすぐお盆ですが、その起源はお釈迦様の弟子であった目連尊者が周りの方々へ感謝をし、施しを行ったことで、餓鬼道に堕ちていた母が救われたという仏教説話が元になっています。
「お盆は四摂法を心掛ける期間」と受け止めてみるのも良いのではないでしょうか。
その時、同級生のN君が私との思い出を語ってくれて、子ども時分の懐かしく、あたたかな記憶を思い起こすことができました。
N君は、遊ぶことがとても上手で、自然の中で虫捕りをしたり、川遊びをしたり、草笛をつくったり、家の中での遊び方もよく心得ていて、私はよく農業を営む彼のご自宅に遊びに行きました。
また、N君のお母さんは美人でとてもやさしく、遊びに行くと手作りのお菓子を出して下さったり、帰り際に野菜を下さったりもしました。
幼少期に母を亡くした私には、その温もりがとても有難く、N君もN君のご家族も大好きでした。
N君が語ってくれたのはその当時のこんな一幕でした。
ある時、N君はいつものように遊びに来た私に、帰り際に家庭で採れたトウモロコシを沢山持たせてくれたことがあったようです。
ところが、それは農業の規格外品ではなく、ご家族で食べるために育てたものだったようで、それを知らずにN君は沢山私にくれたのだそうです。
それから30年以上経った先日、あの時お母さんからあとで、確認せずに沢山あげたことを叱られたとN君はにこやかに笑いながら話してくれました。
仏教では私たちが心がけるべき生活規範として「四摂法(ししょうほう)」という教えがあります。
それは、縁起という繋がりの中で存在している私たちが実践すべく、布施、愛語、利行、同事の「少しの親切とあたたかな思いやり」の精神です。
「布施」とは惜しみなく施すことで、お金や物、あるいはサービスや技術を与えて、見返りを望まないことです。
「愛語」とは、やさしく思いやりのある言葉で語り合うことです。
「利行」とは、人々や社会のために励み、自らを慎む心を持つことです。
「同事」とは、他人の苦しみを共にし、楽しみを分け合い、人の身になって思いやることです。
人を思いやり、やさしい言葉や態度で接する人がいれば、周りは明るく和やかになります。
手に入れたものを自分だけのものにするのではなく、そのうちの少しでも他に施すことが出来たら、その施しが人に温もりを与え、感謝と助け合いの心を生みます。
身を削ってまで実践することは、反って辺鄙を生むことがありますので、注意が必要ですが、自身の日々の生活の中で少しだけ心がけることで、自分自身も周りの人も和やかに過ごしやすいものになるでしょう。
N君の思いやりは、少しやりすぎと思われるかもしれませんが、でもN君やN君のお母さんをはじめ、母が亡くなってからも私を育ててくれた多くの方々の温もりがあったからこそ(勿論、仏法もですが)、今私は何とか人道の中で歩めているのかもしれません。
冷たさや温もりは人から人へ伝播されるものです。少しだけ、人を思い、やさしく接することを心がけ、仏さまの浄土へ歩む人生をお互いに和やかに楽しく過ごしたいものです。
ちなみに、もうすぐお盆ですが、その起源はお釈迦様の弟子であった目連尊者が周りの方々へ感謝をし、施しを行ったことで、餓鬼道に堕ちていた母が救われたという仏教説話が元になっています。
「お盆は四摂法を心掛ける期間」と受け止めてみるのも良いのではないでしょうか。